「歯科衛生士は人を健康に導くことができる素晴らしい仕事」
自分らしく楽しく元気に働く衛生士が九州に溢れている状態を目指しています
デンタルピュアワーキング | 九州の歯科衛生士向けの研修・セミナーを行う会社
「歯科衛生士は人を健康に導くことができる素晴らしい仕事」
自分らしく楽しく元気に働く衛生士が九州に溢れている状態を目指しています
歯科衛生士がやりがいや楽しさを感じて仕事ができるように全力でサポートします
「歯科衛生士は患者さんを健康に導くことができる素晴らしい仕事」であることを認知してもらうために努力します
その人らしく歯科と関わり続けるために全力でサポートをします
歯科衛生士になって26年になりました。
私は両親の勧めで歯科衛生士の学校に行き歯科衛生士になって気が付いたこと。『むいてないな・・・』
今でも、向いていると一度も思ったことはありません。
仕事は好きなんですけど、手先が不器用だし、言われたことがすぐにできない。。『やりたくない』と、いつも思ってました。
でも、学校に行かせてもらった両親の手前辞める勇気もなかったんです。
その後、運よく?結婚し子供二人に恵まれました。育児に没頭奮闘する毎日。時は過ぎて、下の子が3歳になった時に離婚しよう思ったことがありました。
離婚するためには生活力が必要なので、やりたくなかった歯科衛生士に復帰。
ハローワークに行き、迷うのは嫌だったので一番新しいパートの求人にしようと決めて面接を受けたのが医療法人立山歯科でした。(その時点でブランク6年。独身時代はほぼアシスタント業務、歯周検査は数回。)
入って二日目に重度歯周病の方の歯周精密検査に入ることに。
かかった時間45分・・・
いろんなところから汗が出て恐怖。温かい言葉をかけてもらえなかったこと。今でもその時の光景と感覚を覚えています。
まさに0からのスタート。
朝5時に起きて夜の片づけ、朝食の準備、洗濯、託児所と保育園に子供を連れて行き、17時まで仕事して、お迎えに行き、夕食の準備して、洗濯物を畳んで、お風呂に入れて、21時に寝かしつける。。。
そんな毎日でした。
仕事では放任主義?の担当医だったので、自分で調べることが多く患者さんに迷惑をかけないように必死でした。毎日、怒られる出来ない自分が情けなくて。。。
普通の衛生士レベルになるまでに3年かかりました。
3年経つと今までと視界が違って、先の先まで読んで行動できるようになり、あれだけ怒られていたのに、それもなくなり、私の方が先生より強くなってました(笑)
子供たちもおちおち病気していられないと本能的に察知していたのか、高校卒業までほぼ皆勤賞でした。(下の子が小学校1年生の時一週間ほど緊急入院したときも仕事を休むことなく親子3人で乗り越えました)
子供たちの強さたくましさ優しさに救われることたくさんあり私も母として成長させてもらっています。
高級車並みの治療金額を支払う患者さんをたくさん診させてもらい思ったこと基本治療の大切さでした。
なかなか基本治療に携わることが出来なかったので、職場にお願いして、週に1度、夜9時~11時まで診療に入り勉強させてもらいました。
その日は、仕事が終わってから一旦帰宅し家事を済ませてから再出勤です。(医院の体制が途中で7~23時に変更になったのが、今考えれば幸いでした)
常に優先順位を考えて頭の中で試行錯誤していました。
歯周治療を行っていく中で歯科衛生士としての技術はある程度身についてきました。
あとは数字(持ち患者数、売上(保険・自費)、物品、リコール率、キャンセル率、稼働率などなど)をどうやって上げていくか。
(当時一人一人が経営者として意識を持って診療に取り組んでいました。私にとって数字を追いかけるのは苦痛だったのですがこの時の経験が後に大いに役立っています。
立山歯科では本当に多くのことを勉強させていただきました。理事長ありがとうございます。)。
数字をあげる為に必要なこと、それはコミュニケーションです。
コミュニケーションが苦手な私。フリーランスになってご縁のあった医院で「患者さんを一人にしてはいけない」というルールがありました。私は中洲式と呼んでいます。
ここで鍛えられました。
患者さんが待つ間に、歯科以外のことを話さないと時間を持て余してしまいます。歯科と言うのは私にとって試練の連続。
相手のことを聞き出すことが上手なアシスタントさんの会話を横耳を立てながら聞き、学んでました。
克服まではいきませんが以前よりはコミュニケーション力はついていると思います。
自費メインテナンスに移行するために模索していた時にメディカルデンタルエステ(MDE協会)と出会いました。
京都府舞鶴市の竹屋町森歯科クリニック。筑後を始発で出て着くのがお昼の場所にあります。4日間コース。学んだことを患者さんに施術すると今までにない反応が返ってきます。
ストイックに仕事をしていた私自身が患者さんに施術することで癒されたのです。
自律神経に働きかける。
頭痛に悩み続け仕事中トイレに駆け込むことも多かったわたし。(原因は夢中になり息をすることを忘れ食いしばり下を向いて仕事をし続けていたからだと思います)
患者さんを癒し自分まで癒されるメディカルデンタルエステ。生涯の師である岡村乃里恵先生と出逢い優しさにふれ施術の素晴らしさと心地良さに惹かれ九州の衛生士さんを元気にしたい!とインストラクターになりました。37歳、衛生士としての転換期でした。
インストラクターとして、いろんな医院に行かせて頂き、たくさんの衛生士さんと接するようになりました。
どこの医院でも喜んでいただき、人をサポートし寄り添うことがこんなにも嬉しいこととはおもいませんでした。私の心に花が咲いていきます。
小さいころから自分ではなく常に相手優先。両親や学校の先生は腹立たしかったようですが自分でなおそうと思ってもなおらない。
周りから見た私の欠点が今では一番の長所になっているんじゃないかな。と思っています。あ、ちょっぴりおせっかいな所も自分では好きです。
表舞台に立つのが苦手で人のサポートが一番性に合っている私。事務処理や経理チラシ作製なども苦痛じゃないんです。(時間はかかりますが。。。)
学会などで遠くに行くときはせっかくなので周辺を調べ上げて旅行プランもしっかり立てて無駄なく仲間と楽しんでいます。
歯科衛生士が歯科衛生士として楽しく仕事をすること。
どんな環境であっても携わって欲しい。
それは歯科衛生士という資格は人を健康に導くことができるから。
その人らしく歯科と関わり続けるためのサポートをやっていきたいと思っています。
デンタルピュアワーキング代表 水町幸恵